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カードサッカー



「カードサッカー」は、私が小中学生のときにやっていた一人遊びであった。3歳からサッカーを習い、4歳から週2回Jリーグの試合を観戦していた。当時はヴェルディを熱烈に応援し、負けるとまるで自分事のように泣いていた。この「カードサッカー」という遊びをはじめると、すぐに時間を忘れ、気づくと5時間経っていることもあった。私は、なぜこの一人遊びを中学生まで続けていたのか。自分がプレーするサッカーの試合のためのイメージトレーニングだったのか、またJリーグ観戦で得た生々しい感動の瞬間を再現したかったのか、ただ楽しく遊びたかったのか、友人がいなかったからか、はっきりしないがすべてかもしれない。この「カードサッカー」は、カードの選手たちや動くボールだけでなく、応援する観客、サッカーの解説者、メンバー交代や采配等を行う監督、ジャッジする審判員などのすべての役割を一人で担っていたが、どちらが勝つか負けるかは、自分にもわからなかった。そこには、その場その場で偶然的な何かが舞い込んでくるような隙間があった。

 

「自分の得意なことをやってみよう」と、ある建築学校の講師が声をかけてくれたことで、この「カードサッカー」を約20年の時を経て、復活させた。そこには具体的なルールが決まっていることに驚かされた。決まっていると言うより、小学生の私が勝手に決めたのかもしれない。例えば、8人対8人での試合、畳一畳分のグラウンド、ティッシュで作られたボール、使い果たしたティッシュ箱のゴールなど、使用するものに対して、一人遊びであるのに「公式」であるように感じた。またこのゲームをするとき、一枚一枚の選手のカードからその選手の持つイメージが複数存在しており、そのイメージを元に試合中のプレーの反応が瞬時に導かれた。この選手のイメージは、当時サッカーを観て得たイメージだけではなく、このカードの絵から導かれることもあった。まるでタロットカードの意味合いを取り出すみたいに。さらに試合中には「流れ」があり、その「流れ」に合わせて、試合が進められていった。この全体の力動はある意味で、させられ体験のように、自分が何者かに動かされている感覚もあった。もちろん自分の意志があり、自分の身体を動かしているのだが、そこには自分とは全く関係のないところのものが存在していた。

 

この試合を行った日は、全身が筋肉痛であり、動きの鈍さが目立っていた。年齢のせいもあるのか、カードサッカーの全盛期と同じ動きをすることが難しかった。その点については大いに悔やまれるが、楽しく試合ができたことは本当に良かった。また当時の選手たちが今までどんな人生を送ってきたのか、インターネットのウィキペデアなどで調べてみた。サッカー選手を引退して、年齢や状況に応じて他の何者かになっていた。なぜか調べていくうちに、昔憧れていた選手たちが、カードから出てきて、私のいる人間の世界の中に入ってきたようだった。

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